聖書のみことば
2022年8月
  8月7日 8月14日 8月21日 8月28日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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8月7日主日礼拝音声

 子らの一人として
2022年8月第1主日礼拝 8月7日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/マルコによる福音書 第9章30〜37節

<30節>一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。<31節>それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。<32節>弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。<33節>一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。<34節>彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。<35節>イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」<36節>そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。<37節>「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

 ただいま、マルコによる福音書9章30節から37節までをご一緒にお聞きしました。30節に「一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった」とあります。主イエスの一行がフィリポ・カイサリアから久しぶりに帰ってきて、ガリラヤの道を通って行かれます。しかし主イエスはこの道において、「人々や群衆に気づかれないように注意しておられた」と言われています。どうして主イエスは、人々に気づかれないようにと思われたのでしょうか。
 それは、主イエスには最早そう多くの時間が残されていなかったためと思われます。主イエスはこの時すでに、十字架にお架かりになるという覚悟を決め、エルサレムへの道を辿っておられました。しかもその十字架の出来事は、主イエスの一行がエルサレムに到着した時点でいつでも起こればよいということではなくて、「その時は、次の過越の祭りが開かれる時」と定まっていました。これは主御自身の思いつきではなく、神の御計画として主イエスに示されていた日程と思われます。主イエスは「過越の羊」として、つまり「主イエスが十字架上に血を流し亡くなられることによって、多くの人の罪が赦され、新しい命が与えられる始まりがある」ということを現すために、「十字架の時は、過越祭の時である」と示されていたのです。

 次の過越祭までに主イエスはエルサレムに到着し、そこで十字架に架からなくてはなりません。そのことを、弟子たちはまだ知らずにいましたけれども、主イエス御自身の中では、その日程がはっきりしていました。
 マルコによる福音書14章7節8節で、主イエスは弟子たちに向かって、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」と言われました。間もなく主イエスが弟子たちと共にいることができる時間に終わりの時がやって来ます。けれどもその時までに、主イエスには是非ともしておかなくてはならないことがありました。それは、主イエス御自身がこれからエルサレムでお受けになる苦難の意味を「弟子たちに伝える」ということです。
 主イエスの十字架は決して、犬死のような、ただ捕らえられ処刑されるということではありません。主イエスの十字架は、神の前で人間の罪を清算するための行いです。主イエスの十字架は、私たち人間の罪を清算して、私たちを神に結びつけ、神と共に生きる生活をもたらしてくださいます。主イエスはそのことを、是非とも弟子たちには知っておいてほしいとお考えなのです。
 しかしそのことを弟子たちに分からせるためには、何度も繰り返して、これから御自身が受けられる苦難の意味を伝えなくてはなりません。そしてそのためには、以前主イエスがガリラヤにおられた時のような様子であってはなりません。すなわち、主イエスの行く手に大勢の群衆が待ち構えていて、「癒してほしい」とせがまれるようなことになっては困るのです。主イエスは今や、群衆に癒しをもって仕えるのではなくて、弟子たちに御自身の御業を伝えようとしておられます。ですから主イエスは、自分たちがガリラヤに戻って来ていることを人々に気づかれないように注意して行動なさったのでした。

 主イエスがそれほどに注意を払い、心を込めて弟子たちに伝えようとなさった事柄は、果たして弟子たちに理解されたのでしょうか。残念ながら、この時、弟子たちには理解されなかったと語られています。
 今日聞いている箇所は、主イエスが3度、御自身の十字架の苦難を弟子たちに伝えた受難予告の記事の第2回目の箇所です。31節に「それは弟子たちに、『人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する』と言っておられたからである」とあります。主イエスは御自身が敵の手に渡され殺されるが、それで終わりではなく、復活の朝が来ると弟子たちにお伝えになりました。けれども32節には「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」とあります。主イエスを通して神がなさろうとしておられる御業が、どんなに私たち人間の想像を絶することであったかということが、この弟子たちの姿からもよく分かります。
 弟子たちは、主イエスのことを確かに愛していました。しかしその愛というのは、人間的な思いに留まっていたのです。愛する者を自分の元に引き止めたい、留めておきたいという思いが、この時の弟子たちを捕えていました。そしてそうであったからこそ弟子たちは、主イエスが教えてくださったことを理解できなかったのですが、怖くて主イエスにお尋ねすることもできませんでした。

 ところで、このように主イエスが受難予告を弟子たちにお語りになる度に、「主イエスと弟子たちとの間の溝が深まっていった」と言う人がいます。例えば、主イエスがフィリポ・カイサリアの付近で弟子たちに向かって「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになった時、弟子たちは「あなたはメシアです」と、主イエスがお尋ねになったことに対して、ぴったり息が合うような答えをしていました。けれども、そのような答えが返ってきたのはそこまでで、そのすぐ後で主イエスが第1回目の受難予告をなさると、ペトロは「とんでもない。そんなことは断じてあってはならない」と考え、主イエスを諌めようとして、そこで却って「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず人間のことを思っている」という、大変厳しい言葉を主イエスから聞かされることになりました。
 この出来事は、喩えて言えば、今まで同じ流氷の上に乗っていると思っていた主イエスと弟子たちの間に小さな亀裂が生じたようなことです。そしてこの亀裂が鈍く音を立てながら次第に離れていく、それに似て、主イエスの御受難の事柄をめぐって、弟子たちと主イエスの間が少しずつ遠くなり溝が生じていくということが起こっているのです。
 そしてこの溝は、弟子たちが抱いている人間的な愛では、決して乗り越えることができません。なぜなら、弟子たちが主イエスを愛する思いは人間的な親しみの気持ちであって、「自分を中心に置いて、相手を自分の側に留めておきたいと願う」というものだからです。愛と言っても、弟子たちが抱いている主イエスに対する思いは、自分中心なあり方から離れることができません。従って、「今から私たちはエルサレムに向かっていくが、わたしは敵の手に渡されて殺されるのだ」と、主イエスが弟子たちから遠く離れて死に赴くと言われる言葉を、弟子たちは受け入れることができないのです。この点では、弟子たちはとても主イエスについて行くことができません。
 そしてさらに、「主イエスについて行けない」ということが非常にはっきりする、そういう時がやって来ます。それは、主イエスが逮捕される時です。弟子たちは主イエスが逮捕される時に、蜘蛛の子を散らすように逃げ散ってしまいました。「どこまでも主イエスについて行きます。主イエスについて行くためには、死んでも構いません」と言っていたペトロですら、三度も主イエスのことを知らないと言い、そこで、主イエスと弟子たちとの間に深い溝があることが明らかになるのです。

 弟子たちは、今日のこの時点では、「主イエスを愛しているし、主から離れてはいない」と思っています。しかし主イエスは最初から、気づいておられます。主イエスのことを、「あなたはメシアです。わたしの救い主です。わたしはどこまでもついて行きます」と言い表していながらも、弟子たちは何よりも自分が大事で自分中心に物を考えてしまうのだということを、主イエスはよく分かっておられました。それで主イエスは、今日の箇所で一つの問いかけをしておられます。33節に「一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、『途中で何を議論していたのか』とお尋ねになった」とあります。
 カファルナウムの家というのは、おそらくペトロの家だっただろうと言われています。ペトロの家に着き、主イエスが弟子たちと部屋に入り落ち着いて過ごせるようになった、そのところで主イエスは、弟子たちにお尋ねになるのです。「道中あなたがたが囁き合うようにして論じ合っていたことは何なのか」。もちろん主イエスは、教えてもらわなくても弟子たち一人一人の心の中に何が考えられているのかということを御存知です。けれども敢えて問うことで、弟子たちが心の内に密かに抱いている思いをはっきりさせ、それに気付かせようとしておられるのです。

 「何を議論していたのか」と尋ねられた時に、弟子たちは答えられませんでした。34節に「彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである」とあります。どうして弟子たちはこの時 、主イエスのお尋ねに率直に答えられなかったのでしょうか。それは彼らが、自分たちが思っている思いと主イエスの御心とが、まるで反対の方を向いているということに気付いたからです。それは、12人が激しく議論していたということではなかったかもしれません。ぽつりぽつりと誰かが漏らした言葉を聞きながら、皆が心の内にそっと思い巡らしていた程度のことだったかもしれません。
 「誰が一番偉いか。誰が一番か」、こういう思いは、主イエスの12人の弟子たちだけが思うことではありません。実は、ここにいる私たちすべての者の中にもある思いだろうと思います。一番と言うので遠い話と思うかもしれませんが、しかし私たちも、色々なことについて他の人と自分を比較するということはあるのではないでしょうか。住んでいる家の大きさ、学校の成績、預金の残高、周囲の人々から寄せられる信頼の大きさ、容姿や体型、洋服のセンス、身に付けている物の値段、家族の仲の良さや悪さなど、普段私たちは気づいていませんが、言われてみると私たちは、始終他の人と自分とを比べながら暮らしているようなところがあるのではないでしょうか。「この点では自分の方が上だ。あの人の方が上だ」と言って、得意になったり羨んだりするのではないでしょうか。
 そのように、私たちはいつも他の人と自分を比較しますが、しかし、そういう比較をする物差しの中で、決して出てこない物差しがあります。それは十字架です。「わたしは主イエスの十字架の死にどれほど近づいているだろうか。他の人よりわたしの方が十字架に近い」とは誰も考えようとしません。それは、十字架や死が自分にとって決して願わしいことではないからです。弟子たちが主イエスの受難予告に耳を貸せなかったのも、突き詰めて言ってしまえば、このためです。

 私たちは、主イエス・キリストの十字架について、「このお方が十字架に架かり、甦られたのだ」ということを聞かされ、信じています。けれども、私たちがそのことを素直に受け入れることができるのはなぜでしょうか。それは、「主イエスが十字架に架かり、御業を果たしてくださった」という出来事が実際にあったからです。そしてもっと言うならば、私たちの上に聖霊が働いて、私たちが「主イエスの十字架は、わたしのためのことだった」と受け止め、受け入れることができているからです。
 もしも私たちが、今日聞いている聖書のこの時点の弟子たちのように、主イエスがまだ十字架に架かっておられず、私たちがただ人間的な親しみや尊敬や愛を抱きながら主に従っているだけであったなら、自分たちの先生が今から敵に捕えられ無惨に殺されると聞かされて、それでも従って行くということは、本当にはできないのではないでしょうか。けれども、あるいはもしかすると、実際にその出来事が起こるまでは、私たちは自分の身の程を弁えないで「わたしは死んでもついて行く」と思うかもしれません。
 私たちの存在というものは、自分の決意とか思いによって自分を無にすることなどできませんし、また実際に私たちが本当に自分を無にしてしまったら、それ以上生き続けることもできなくなるだろうと思います。
 私たち人間が、「十字架に向かって行かれる主イエスに、自分から従う」ということは、とても難しいことなのです。私たちは、自分の方から十字架の主に同調して従うのではありません。そうではなくて、私たちのために十字架に架かり復活してくださった主イエスが私たちを招いて、「わたしはあなたと共にいるよ」と言ってくださる、だから「主が共におられる生活」を過ごせるのです。私たちとしては、主イエス・キリストの十字架と復活を知らされ、そのことを信じて生活するというのが精一杯のことではないかと思うのです。

 主イエスは、御自身がこれからどこに向かっていくのか、そして弟子たちがどこに招かれているのかを知らせるために、この時、一人の幼子を弟子たちの中央に立たせられたと言われています。もし、弟子たちと主イエスの思いが全く反対の方向を向いていることを知らせるだけであれば、弟子たちの真ん中に一本の十字架を立てて、「今からわたしはこの十字架に向かって行く」と教えられたとしても、何の不都合も不思議もなかったはずです。現に主イエスは、31節で「十字架」という言葉こそお使いにならないものの、事実上は「十字架に架かる」と弟子たちに教えておられるのです。
 けれどもペトロの家で、主イエスは、一人の幼子を弟子たちにお示しになりました。場所からして、この幼子はペトロの息子だったのではないかと想像する人がいますが、はっきりとは分かりません。けれども、主イエスがこの子の手を取っても嫌がっていませんから、既にこの子は主イエスと顔見知りで慣れていたらしいということは分かります。そしてまた、この子を主イエスが抱き上げていますから、そんなに大きくない、おそらく3歳から5歳ぐらいの子供だったのではないかと想像されます。主イエスは弟子たちにこの幼子を示しながら、「他人と自分を比較してどちらが上かと思うのではなくて、互いに受け入れ合うように」と教えられました。

 どうして幼子がここに連れて来られたのでしょうか。主イエスの時代の幼子と今日の幼子とでは、少し意味合いが違っていると思います。今日、幼子から私たちが受ける印象は、愛らしさ、あるいは将来への希望だったりするだろうと思います。私たちの教会では、礼拝の終わりに皆で祝福を受ける時に小さい子供たちが前に来て並びますが、私たちはそれをとても微笑ましく見、また教会の次の世代の世継ぎがここに並んでいると思って嬉しく、祝福を受けるだろうと思います。
 けれども、主イエスが生きておられた一世紀頃の社会ではそうではないのです。その時代は、生まれてきた子供の半数以上は大人に育つ前に死んでしまいます。また貧しい家庭に生まれた子供たちは、口減らしのために人買いに買われて奴隷とされていくということがごく普通に見られたそうです。当時の社会にあってキリスト者は、どんなに貧しくても子供を手放さなかったので、とても不思議な人々だと周りから見られていたという記録もあります。聖書の時代には、子供は一人の人としては数えてもらえない、無力で価値のない者と思われていました。
 しかし、そのような無力で価値のない存在を主イエスは抱き上げ、弟子たちの前に受け入れられるべき者としてお示しになりました。

 主イエスに抱き上げられているこの幼子は、ここにいる私たち一人一人の代表なのではないでしょうか。私たちは、他の人たちより価値があり能力があるから召されたのではありません。宗教性が高くいろいろ理解出来るから信仰を持つに至ったわけではないのです。それは、自分自身の普通の姿を思い描けばよく分かることと思います。
 私たちは、すぐに神から心が離れ神抜きで生きてしまいます。しかも教会生活や信仰生活を長く続けていても、それによって自分が少しでも神を忘れずに生きる時間が長くなるかというと、なかなかそうはならないのです。教会生活の長さに関わらず、私たちは、日々の生活の中では神を忘れている時がしばしばです。
 けれども、そういう私たちを主イエスは、教会の群れの中に覚えられる一人一人として抱き、示してくださるのです。

 主イエスは、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」とおっしゃいます。主イエスは、「受け入れなさい」と教えられます。これは言葉を変えて言うならば、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」ということではないでしょうか。私たちは理屈によって主イエスや神を理解し尽くすことはできません。しかし主イエスの御言葉に励まされながら、互いに愛し合う生活の中で、甦りの主に出会わされ神の愛に気づかされて生きていくことができるのではないでしょうか。主イエスが十字架によって弟子たちにもたらしてくださったのは、人間の自己愛を超える教会の交わりなのです。

 私たちは礼拝をささげ、御言葉に励まされ勇気を与えられながら、愛に生きる新しい者とされて行きます。そのような幸いな生活に生かされる光栄を感謝して、歩んでいきたいと願います。お祈りを捧げましょう。

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